ジャイアント馬場から中邑真輔まで WWEで活躍する日本人レスラーたち

4月4日(現地時間)、フロリダ州オーランドで行われた「スマックダウン・ライブ」に元新日本プロレスで、前WWE・NXT王者の中邑真輔(シンスケ・ナカムラ)がサプライズ登場し待望の1軍昇格を果たした。


バイオリンの生演奏に乗って中邑が姿を現すと、観客はテーマ曲を大合唱して迎え入れ、中邑がリングインすると観客は「ナカムラ!」の大コール。生中継はここで終了したが、突如現れたドルフ・ジグラーの挑発に乗る形で試合がスタート。ジグラーのラフファイトを織り交ぜた攻撃に手こずったが、最後はフィニッシュ・ホールドのキンサシャでジグラーを仕留めた。

世界最大のプロレス団体・WWEには現在、中邑をはじめ、NXT女子王者であり1年以上にも渡って無敗記録を更新中のASUKAや、怪我から戦線復帰したイタミ・ヒデオ、クルーザー部門に特化した新番組「205 Live」で気を吐く戸澤陽と、多くの日本人レスラーが活躍している。


WWEと日本人レスラーの関わりは古く、初渡米武者修行中だったジャイアント馬場は、創業者であるビンス・マクマホン・シニアから「ババ・ザ・ジャイアント」と命名され、日本人レスラーとしては初めてWWE(当時はWWWF)に登場。1964年にはブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦するなど、超一流の外国人レスラーたちと幾多の名勝負を演じた。


国際プロレスでエースを務めたストロング小林は、WWWFではフレッド・ブラッシーをマネージャーにヒールとして活動し、1974年にはブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおける定期戦では、キラー・コワルスキーと組んでアンドレ・ザ・ジャイアント&ビクター・リベラと対戦し、悪党ファイトで大観衆を熱狂させた。


モンゴリアン・ギミックのキラー・カーンは、1980年末よりWWF(当時)に参戦し、同年12月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、ボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦。その後もフレッド・ブラッシーをマネージャーに、ペドロ・モラレスのインターコンチネンタル・ヘビー級王座にも挑戦するなどトップ・ヒールとして活躍し、アンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争も開始。1981年5月、ニューヨーク州ロチェスターにてアンドレの右足をニー・ドロップで骨折させたとしてヒール人気は急上昇し、瞬く間に世界的なメインイベンターに昇格した。


■WWEでタイトルを獲得した日本人レスラーも


全日本女子プロレスで活躍した立野記代と山崎五紀によるタッグチーム・JBエンジェルスは、WWFからスカウトされ1987年に参戦するとすぐにメインイベンターに抜擢される。1988年1月の第1回ロイヤルランブルでは、グラマー・ガールズ(レイラニ・カイ&ジュディ・マーチン)を破り、WWF世界女子タッグ王座を奪取。日本の女子選手による米マットでのメジャー王座奪取は歴史的快挙で、JBエンジェルスはベビーフェースとして大人気だった。


みちのくプロレスの新崎人生は、WWFが1994年に日本で開催した『WWFマニア・ツアー』に参戦した際に、その個性的なキャラクターがスカウトの目に留まり、WWFと契約を結ぶ。1995年1月、白使(HAKUSHI)のリングネームで全身に写経をペイントした耳なし芳一スタイルの怪奇派ヒールとしてWWFに登場。タイトルこそ獲得しなかったが、ブレット・ハートと抗争を繰り広げシングルマッチも行っている。


TAKAみちのくは、みちのくプロレスを退団後、メキシコやアメリカでプロレス活動中にWWFと契約。WWF初代ライトヘビー級チャンピオンとなり、パワーレスリング中心の団体内で、スピード感溢れるレスリングを展開して注目された。トリプルHが保持するWWF世界ヘビー級王座に挑戦したこともあり、1998年には年間最大の祭典であるレッスルマニアに日本人レスラーとして初めてシングルで出場している。


他にもブル中野、ケンゾー・スズキ、TAJIRI、YOSHITATSUなどWWEで活躍した日本人選手は数多く、2010年にはアントニオ猪木、2015年には藤波辰爾がそれぞれWWE殿堂入りを果たしている。WWEは現在、複数の日本人レスラーにアプローチをしていると言われており、今後も才能溢れる日本人レスラーたちが海を渡り、WWEで活躍することは間違いないだろう。

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