小橋建太、高山善廣…ガンや脳梗塞など重病を克服、リング復帰したプロレスラーたち

 4月30日に行われた、全日本プロレスの春の祭典「2017 チャンピオン・カーニバル」で優勝決定戦に進んだ元3冠ヘビー級王者のジョー・ドーリング。石川修司のファイヤーサンダーで破れて優勝こそ逃したが、最後まで死力を尽くして悪性脳腫瘍による長期欠場からの完全復活を印象づけた。


 ジョーは、昨年2月に体調不良を訴えて入院。検査を受けた結果、脳腫瘍が見つかり摘出手術を受けて成功したが、その後の精密検査で悪性脳腫瘍の診断が下り、出場予定だった「2016 チャンピオン・カーニバル」を欠場した。その後、放射線治療などを行い、リハビリに励んだジョーは今年1月の全日本プロレス後楽園ホール大会で約1年5か月ぶりに奇跡のリング復帰を果たし、全く衰えやブランクを感じさせない暴れっぷりを見せた。


 重病を克服し、復帰した超人的なプロレスラーといえば、全日本プロレスやプロレスリング・ノアで活躍した小橋建太が思い出される。2006年6月、精密検査で腎臓ガンが発覚。手術・治療のため長期欠場に入り、7月に5時間半に渡る腹腔鏡手術による右腎臓摘出手術を行った。


 そして、「復帰は無理」という常識を覆し、2007年12月のノア日本武道館大会で546日ぶりにリングにカムバック。日本武道館の花道に小橋が現れると、嵐のような大「小橋コール」がわき起こり、小橋は以前と変わらない完全無欠の鉄人ファイトを展開した。


 その小橋の復帰戦で初タッグを結成した高山善廣もまた、重病から復帰を果たしたプロレスラーの1人だ。2004年8月の新日本プロレス・大阪大会での佐々木健介戦後、バックステージで突然右手の自由が利かなくなった高山は、ひどい立ちくらみから倒れ救急搬送された病院で脳梗塞と診断、すぐにカテーテル手術が施された。


 その後約2年間、リハビリを重ねた高山は、2006年7月のノア武道館大会で復帰。当時、プロスポーツ選手で脳梗塞から復帰した前例はないとされていた。その後、様々なリングで以前と変わらぬ活躍を見せていた高山だが、5月4日のDDT豊中大会の試合中に頭からリングに落ちて、そのまま動けなくなり、病院に救急搬送された。検査の結果、頚椎損傷および変形性頚椎症と診断が下り、以降欠場を続けている。


 プロレスリングFREEDOMSで活躍するGENTAROは、2012年8月の札幌大会昼興行の木高イサミと試合直後に体調不良を訴え緊急搬送され、検査の結果、脳梗塞と診断された。退院してからは懸命のリハビリと復帰に向けたトレーニングに励み、2014年5月の後楽園ホール大会での木高イサミとの復帰戦では、休場前と変わらぬビルドアップした肉体を披露。ダイビングヘッドバットや雪崩式ブレーンバスター等の大技も繰り出し、試合には敗れたものの、20分を越える試合時間を無事にこなし現在も精力的にプロレス活動を行っている。


 「ミスター無我」のニックネームを持ち、文京区議会議員でもある西村修は、新日本プロレスに所属していた1998年にガン(後腹膜腫瘍)の宣告を受け長期欠場。その後、漢方療法、海水浴療法、座禅、ヨガ、瞑想などいかなる化学療法を用いず、今までのアメリカ型食生活を日本人本来の玄米菜食の食生活に変えガンを克服。2000年6月、日本武道館での藤波辰爾戦で1年8か月ぶりにリングに復帰した。


 今年に入りプロレス界では、先述の高山善廣のほか、硬膜下血腫の症状が試合後に出て、緊急手術を行った新日本プロレスの柴田勝頼、試合中に中心性頸髄(けいずい)損傷の重傷を負い、長期離脱をしている本間朋晃など怪我人が相次いでいる。無理は絶対に禁物だが、プロレスラーの超人的な回復力に期待し、復活を祈るエールは絶えない。

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