「殺し合うつもりでやっていた」女子プロレス界・伝説のガチンコ勝負

 プロレス界の隠語である「シュート」は「ガチンコ」「セメントマッチ」と同じく、プロレスの枠を逸脱した危険な“真剣勝負”のことを指し、近年では2015年2月22日に行われた女子プロレス団体・スターダムの東京・後楽園ホール大会における世IV虎(よしこ)vs 安川惡斗(あくと)の凄惨マッチが「シュート」だったと評されている。


 世IV虎が保持するワールド・オブ・スターダム王座の防衛戦として行われたこの試合は、開始前から不穏な空気が流れていた。試合が始まると、しばらくにらみ合った状態が続き、業を煮やした惡斗がグーパンチをお見舞いすると、世IV虎の顔面にクリーンヒット。この一撃で明らかに表情が変わった世IV虎も強烈なグーパンチをお返しして、ここからお互いにノーガードで殴り合う展開となった。


 しかし、当たっているのは世IV虎のパンチばかりで、惡斗のパンチは全く当たらず、程なくして惡斗は大量の鼻血を流し、左目を腫らしていた。リング下に逃れた惡斗の顔を見た和田京平レフェリーは、セコンドの木村響子にタオルを投げるよう促し、木村もこれに従ってTKO勝ちで世IV虎の3度目の王座防衛が告げられた。


 試合後、惡斗は都内の病院に救急搬送され、頬骨、鼻骨、左眼窩底骨折で、両目の網膜しんとう症の診断が下されたことから、この試合が社会的に問題視される事態に発展。スターダムはロッシー小川代表らが記者会見を開き、この試合を無効試合とし、世IV虎のワールド・オブ・スターダム王座剥奪および無期限出場停止とすることが発表された。


 もともと2人の仲は険悪で、確執があったことも関係者は認めており、この試合を組んだスターダムの責任者、相手が大怪我するほどに殴ってしまった世IV虎、自分から仕掛けておきながらケンカマッチに全く対応できなかった惡斗、それぞれが反省すべき点があった。その後、惡斗は視力の回復が困難と判明したために引退。世IV虎は「スターダムで試合をしたくないけど、スターダムでしか試合をしたくないので、引退します」という言葉を残して引退するが、復帰の思いが甦り、世志琥に改名して高橋奈七永が設立したSEAdLINNNGで現役復帰を果たした。


■女子プロレス界の数々のセメントマッチ


 女子プロレス界には過去、数々のセメントマッチが存在しており、北斗晶は試合中に一歩間違えば生命の危機に陥いるほどの大怪我を負った。北斗が本名の宇野久子名義で闘っていた新人時代の1987年4月27日、大阪府立体育会館での宇野久子&堀田祐美子 vs 小倉由美&永堀一恵の試合で、宇野は小倉から雪崩式ツームストン・パイルドライバーという受け身の取れない大技を食らい、首を骨折。宇野は、首の骨が折れていることも知らずにそのまま試合を続行するが、試合後に病院に救急搬送され長期欠場を余儀なくされた。


 当時、先輩ながら宇野に抜かれる形となっていた小倉は、5月19日に放送されたTBS系「爆報THEフライデー」に出演し、危険技を出した真相を「もちろん嫉妬です」「危険だけど、あえてやった」と告白。2人は番組で30年ぶりに再会し、過去の因縁を水に流した。


 1987年7月18日の神取忍 vs ジャッキー佐藤の試合もシュートマッチだった。以前から意見が食い違っていた両者が決着をつけるために組まれたこの一戦は、試合開始直後から神取がパンチの連打でジャッキーを追い込み、瞬く間にジャッキーの顔面が無残にも腫れ上がった。神取はグラウンドでも一方的に関節技で圧倒し、ジャッキーはなすすべもなく、最後は腕がらみで神取が完勝。ジャッキーはこの試合を最後にプロレス界を去っていった。


 ブル中野 vs アジャ・コングの遺恨抗争も苛烈だった。ブルをリーダーとした "獄門党" で行動を共にしていた両者だが、袂を分かった途端に憎悪むき出しの死闘を展開していた。そして、1990年11月14日、横浜文化体育館で行われた金網デスマッチでは、ブルは試合前に「引退を賭ける」ことを示唆していたが、金網ゲージの頂上からギロチン・ドロップを放ちアジャに勝利。当時の関係者は、「金網デスマッチは、両者とも殺し合うつもりでやっていた」と証言している。


 相手に不要なケガをさせたり、プロとして試合を成立させられなかった場合、プロ失格といわれてしまうのは致し方ないが、このような女子プロレスの「セメントマッチ」の数々が、見る者の記憶に強烈に残ったのもまた一つの事実である。

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