昭和の藤原喜明と平成の村上和成…プロレス界テロリストの系譜

 IGF(猪木ゲノム連盟)の新ブランド「NEW」の旗揚げ4戦目となった5月12日の宇都宮大会に、「平成のテロリスト」こと村上和成が乱入。エースの鈴川真一をKOし、鈴川と村上の遺恨が勃発した。


 この日のメインイベントでは、鈴川が初代タイガーマスクの一番弟子、スーパー・タイガーを相手にフルタイムの死闘を繰り広げた。2人は互いに健闘をたたえて手を取り合うと、鈴川が会場に集まったファンに「今日はありがとう!」と感謝を述べ記念撮影に移った。その撮影が終了した瞬間に事件が起こった。


 ダークグレーのスーツに身を包んだ村上がリングに駆け上がり、背後から鈴川の後頭部に強烈な鉄拳を叩き込んだ。その場に崩れ落ちた鈴川を尻目に村上は足早にリングを後にし、“テロ”の目的を問う報道陣に「分かってんだろ! これから祭りだよ、祭り!」と目的を明かさぬまま会場を立ち去った。


 村上は後日、都内のIGF事務所を不法占拠し、「ここを今後は俺たち『村上会』の事務所兼会議室にする」と宣言。「村上会のメンバーは無数にいる。みんな乗り気になってるから、そいつらと一緒にNEWで暴れてやるよ」と、狂気をにじませた表情でテロ継続を宣告した。


 1995年、総合格闘家としてデビューした村上は、1997年10月に行われたPRIDE.1に出場しジョン・ディクソンと対戦、腕ひしぎ逆十字固めで勝利する。その後、アントニオ猪木が主宰していたUFO所属となり、プロレスラーとしての活動を始めた村上は、1999年1月4日、東京ドームにおける小川直也対橋本真也戦のセコンドについていた際、小川の暴走に端を発した両軍セコンド同士の乱闘に巻き込まれ、いびきをかいて眠りだすなど一時昏睡状態に陥るほどのダメージを負う。


 村上に決定的なダメージを負わせたのは飯塚高史のストンピング攻撃で、顔はパンパンに腫れ上がり約1か月の入院という重傷であったが、これがきっかけで村上はプロレスのリングで活躍する足がかりをつかんだ。


 2000年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に初参戦した村上は、小川直也と組んで橋本真也&飯塚高史組と対戦。同年のメモリアル力道山興行で、会場に入る橋本を野外の駐車場で奇襲したことから「昭和のテロリスト」こと藤原喜明になぞらえて、村上は「平成のテロリスト」としてその名を広めた。


■プロレス界の元祖テロリスト・藤原喜明と、村上和成の共通点

 先述したようにプロレス界のテロリストの元祖は、「昭和のテロリスト」こと藤原喜明である。新人時代、「神様」ことカール・ゴッチにレスリングを学び、関節技を習得した藤原は、アントニオ猪木に重宝され、スパーリングパートナー兼用心棒的役割を担い、道場では若手のコーチ役を務めた。


 長年前座レスラーの地位に甘んじていた藤原だが、1984年2月3日、北海道・札幌中島体育センター大会で、長州力をタイトルマッチ入場時の花道で襲撃。藤原は金属状の凶器で長州を血だるまにし、長州は試合を行えるような状態ではなくなりタイトルマッチは不成立となってしまった。


 この事件を機に、「テロリスト」と呼ばれるようになった藤原は、前座戦線から抜け出して、長州率いる維新軍との抗争に駆り出されるようになり、一躍、大ブレイクを果たした。テロリストとなった藤原は、維新軍との闘いでは得意の関節技はあまり見せず、ヘッドバットや殴る蹴るといったケンカファイトが多かった。


 この時代の藤原のファイトスタイルと、パンチとキック、踏みつけで試合の大半を組み立てる村上のファイトスタイルは似通ったところがあり、好き勝手に暴れているように見えて、実はファンのことをちゃんと考えているプロ中のプロである点など共通点が多い。村上が殴り込みをかけたNEWには、藤原が相談役を務めており、鈴川との遺恨対決と同時に、昭和と平成のテロリスト同士の邂逅はあるのか、こちらの絡みにも注目したい。


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