PRIDE発のリングネームは学生マット界に大いなる影響を与えていた(中川淳一郎)

AbemaTVで今後続々と総合格闘技興行・PRIDEの試合が放送されているが、1990年代後半から中盤にかけて、PRIDEは毎度地上波で放送され、カードが決まるたびにスポーツメディアを騒がせ、そして2ちゃんねるでも試合の展望がアツく議論されていた。


初期の頃はマーク・コールマン、マーク・ケアー、イゴール・ボブチャンチン、ヘンゾ・グレイシーといった重鎮の活躍が見られていた。後にミドル級のチャンピオンになるヴァンダレイ・シウバが第1試合に出るなど、豪華カード満載で世の格闘ファンは一気に虜になっていったのである。


となれば、そこで動き出すのが学生プロレス団体である。学生プロレスの場合、知名度の高いプロ選手のリングネームをもじったリングネームをつけることで知られる。たとえば、私が所属していたHWWA(一橋大学世界プロレスリング同盟)の場合は、こんな選手がいた。( )内は元ネタである。


ジョージ坂野(ジョージ高野)

チョンボ鶴田(ジャンボ鶴田)

河野・ザ・ブンブン・ウォリアー(ホーク・ウォリアー)

常見五郎(鶴見五郎)

ウマナミノスケ(上田馬之助)

ド田舎チロー(越中詩郎)

長州ミキティ(長州力)

貧乳源一郎(天龍源一郎)

 

そして、PRIDE全盛の頃、上記に登場した“常見五郎”こと“うじきよわし”こと常見陽平氏(現・千葉商科大学専任講師)は、新入生が入ったり、興業が近くなると大量のリングネームを選手のMLに送りつけて「これを使ってくれ」と提案してきたが、PRIDE関連のものだらけになっていた。それだけ、当時の格闘技及びプロレスファンの間ではPRIDEの影響力が強かったのである。


パンツ・ナイマン(ハンス・ナイマン)

ダン・扁桃腺(ダン・ヘンダーソン)

下痢・グッドリッジ(ゲーリー・グッドリッジ)

 

3つしか挙げていないが、他がすべて卑猥なものだらけだったため、卑猥度の低いものだけを紹介したら3つになってしまった。(1つ目は常見氏によるものではない)


それにしても学生プロレスのリングネームはなぜ、全国的に卑猥なものだらけなのだろうか。これは永遠の謎である。学生プロレスの初期である1970年代~1980年代はアントニオ寺島やトルネイド木山といった正統派リングネームが多かったのだが、いつしか下ネタが席巻する時代に1990年代以降突入していった。ちなみにPRIDEに関してもブランコ・シカティック、ヴァンダレイ・シウバ、ミルコ・クロコップ、エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ケビン・ランデルマンをもじったリングネームもあったが、いずれも卑猥過ぎてここでは紹介できない。


だが、当時、「総合格闘技で夢をかなえる!」という道を作ったPRIDEは、選手のみならず、こうした格闘技界の隅っこで地道に活動していた者達をも魅了していた。初期の学生プロレスラーがアントニオ猪木やジャイアント馬場といったレスラーをもじったリングネームをつけていた時代から20年、ついにPRIDE発のリングネームは学生マット界に大いなる影響を与えていたのである。


さて、私が注目したのがPRIDE GRANDPRIX 2005決勝戦第6試合の「エメリヤーエンコ・ヒョードル vs. ミルコ・ロコップ」だ。これは、ノゲイラとともにPRIDEの3強と称された2人の初邂逅である。ヒョードルは前年の大晦日にノゲイラを撃破し、さて、残るはミルコ……という状況での名試合である。ヒョードルのバウンドに注目しよう。


そして、PRIDE GRANDPRIX 2006 2nd ROUND第7試合「ヴァンダレイ・シウバ vs. 藤田和之」。これは、2000年のPRIDE GPにてマーク・ケアーを破って一躍日本人選手の中で最強に近い位置に到達した藤田が、シウバと壮絶な殴り合いをした試合で、2人の闘争本能丸出しの試合は「いい試合だー!」と叫びたくなるはずである。


PRIDE SPECIAL 男祭り第6試合の「ゲーリー・グッドリッジ vs. ドン・フライ」は、前年に高山善廣とPRIDE史に残るケンカファイトを繰り広げたフライが、PRIDEの番人と呼ばれたグッドリッジとどう殴り合いをするかが注目されていた。二人とも「KO必至!」といったタイプの選手のためこの試合も……。

みんな、PRIDE見ようぜ!

文/中川淳一郎(編集者)

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