青木真也、伝説の大会「PRIDE」を振り返る 自分の人生がどう変わったか?

こんにちは。青木真也です。PRIDEファイターです。AbemaTVで総合格闘技大会・PRIDEが放送されていたことを、中川淳一郎さんの記事で知りました。


PRIDE。今も世界中の格闘技ファン、関係者の中では伝説として語られる大会です。そして、今も世界中の多くの人に影響を与え続けています。日本のファンに対してはUWFの流れを引き継いで、プロレスを通して見ることができ、世界に向けては世界最高峰のレベルの試合で引きつけることができるイベントでした。まだ格闘技が整備されてない時代背景もあってのことです。こんな格闘技大会は今後出てこないでしょう。


僕もPRIDE消滅の最後の1年に間に合って参戦させていただきました。大晦日の男祭り(PRIDEの中で一番大きな大会)でヨアキム・ハンセン(当時のトップ外国人選手)に一本勝ちしたりでプロ格闘技選手としての地盤を作っていただきました。ありがとう。PRIDE。人生が変わった。


如何にして自分の人生が変わったのか。PRIDEに出る前の1試合の単価は10~20万円でした。年に3~4試合だとして、それだけで生活して行くのは不可能です。ファイティングプアだ。それがPRIDEと契約することで、月給+ファイトマネー(3桁万円)になります。そこでようやく生計を立てることが出来ました。PRIDE武士道(PRIDEの軽量級シリーズ)出現前は、軽量級が格闘技で生計を立てることは不可能に近かったのです。PRIDEが日本マット界を変えた部分は大いにあると思います。PRIDE武士道は五味隆典というスターを生み出して、五味選手は2017年現在も当時の名前で食っている。ヒット曲を持ってるって強いなあ。まあ、いい加減に気が付きましょうよ。火の玉ボーイはもう燃えていないっすよ。


余分な話はこのくらいにして、青木真也が選ぶベストファイト。

PRIDE15の石澤常光(ケンドー・カシン)対ハイアン・グレイシー。PRIDE10で敗戦からのリベンジマッチ。強さの象徴であった新日本プロレスの看板を背負ってグレイシーと闘い、衝撃的な敗戦からのリベンジマッチ。新日本プロレス対グレイシー柔術の他流試合であり、ジャンルとジャンルのぶつかり合いはアツくなりました。入場、試合後のマイクに注目だ。


青木真也のPRIDEデビュー戦についても記しておこう。

2006年8月26日のPRIDE武士道12名古屋大会でのデビュー。この時期は昇って行くだけだったので、何も怖いものがなかったです。ただただ、楽しいだけでした。思い返すと自分の実力以上の評価をしてもらっていたように思います。誰もが自分の実力に伴わない活躍ができるときがあるはずです。そんなときのアドバイスは「勢いに乗っておこう」だ。そんなときは人生に何度もないよ。迷わず行けよ。行けばわかるさ。

さっ! みんなPRIDE見ようぜ

※追伸 写真はイノキボンバイエでの猪木会長。PRIDEといえば猪木劇場。縁起物。

文/青木真也(格闘家)

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