神の子、真の伝説…山本“KID”徳郁の偉業を振り返る

ガン闘病中だった山本”KID”徳郁さんが9月18日亡くなったことが、自身のジム「KRAZYBEE」公式SNSを通じて発表された。41歳というあまりにも早すぎる死、彼がガンであることを公にし「元気で帰ってきたい」という誓いを込めたメッセージをインスタグラムにアップしたのは8月26日。それから僅か3週間前ということを考えると、いまだに実感がわかないのが正直な感想だ。


KIDは、00年代に隆盛を極めた総合格闘技の黎明期から現在の洗練されたMMAとなる過程で日本が生んだ申し子のような存在だった。ミュンヘン五輪レスリング・グレコローマン代表の父・山本郁榮さんから、姉・美憂さんと妹・聖子さんと脈々とレスリング王者を輩出し続けるエリート家族に生まれ、自身もレスリング・フリースタイルで頭角を現した。1999年の全日本レスリング選手権で準優勝となりシドニー五輪出場を逃すと、いち早く当時のアマチュア有望選手の転身先としては全く新しい世界だった総合格闘技の世界に身を投じ、アマチュア修斗ライト級の優勝を経て、2001年にプロデビューした。


格闘家プロデビュー直後からKIDの「神の子」伝説はスタート。初戦こそ不運な額カットで落としたものの、2戦目は上位ランカーの勝田哲夫を開始序盤よりパウンドから殴り倒し、試合が決した後もレフリーの静止を無視し殴り続けライセンス停止という狂気ぶりをみせた。(この試合はUFC公式がKIDの記憶に残る試合として追悼記事とともに紹介)。その後、「K-1 WORLD MAX」に2004年から参戦。立ち技は経験不足と思われたが、独特の打撃の当て感の良さとスピード、パワーが組み合わさったノーガードスタイルでKOの山を築いていった。


KIDのキャリアのおけるハイライトのひとつに挙げられるのが2004年の大晦日「Dynamite!!」での魔裟斗戦だ。1ラウンド、魔裟斗からダウンを奪ったものの、その後不運な金的へのダーメージで2ラウンド判定負けとなった試合だが、KID vs 魔裟斗はK-1中量級史上、最も盛り上がりを見せた日本人同士のカードとして後世の記憶に残っていくことだろう。


その後、新たに旗揚げされた「HERO'S」の中心選手としても無類の強さをみせたKIDだが、2007年北京オリンピック出場を目指しアマチュア・レスリングの世界に再び飛び込むもののアテネオリンピック銅メダルの井上謙二の投げによる右肘を脱臼、その後の大会への出場を断念し、彼のオリンピック挑戦は幕を閉じた。その後、総合格闘技の世界へ復帰したものの、度重なる怪我に見舞われ、特に2008年の右膝十字靭帯断絶の手術後は成績は下降気味に。日本を離れ心機一転UFCへ参戦するものの、負傷欠場が増えリハビリと復帰を繰り返しつつも戦績を上げることができないもどかしい時期が続いた。


UFC時代はKIDの格闘家キャリアでも最も試練の時期だったように思えるが、彼の逝去を受けUFCは「MMAの世界、このスポーツにおける真の伝説の一人を失ってしまった。対戦者からも最も愛され尊敬された戦士、山本”KID”徳郁は数々のレガシーといえるファイトを遺してくれた」と、その功績を讃えている。


また、近年のKIDといえば、『格闘代理戦争』(AbemaTV)でシーズン1、2とKRAZY BEEの威信をかけ若き才能を次々と送り込んだ姿も印象的だった。リングでの激しいイメージとは違う穏やかな物腰と、若い選手達を褒めて伸ばす指導者としての姿。また年の離れた若い格闘家の技術を学ぼうとする格闘技への飽くなき探究心と、戦うことへの愛が全面に溢れていた。KID亡き後も、彼の格闘技への姿勢や献身性に触れたKRAZY BEEのメンバー、朴光哲や矢地祐介、RIZINで闘う堀口恭司ら多くのファイターたちが彼の意思を継いでいくだろう。

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